祝:アテネ五輪 LW2X 出場
岩本亜希子選手
オリンピック終了後のメディア各紙報道

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アテネ終えた岩本選手
「艇と体が一体の漕ぎ」を追い求めて
もう一度世界へ 努力を続けたい

 「このままでは納得できない。たとえ半歩ずつでも、また夢への努力を続けたい」。アテネ五輪のボート女子軽量級ダブルスカルで十三位だった、諏訪市出身の岩本亜希子選手(25)=アイリスオーヤマ。シドニーから二大会続けて念願の準決勝に進めなかったショックは大きかった。だが、新たな課題を胸に、世界に挑戦し続けることを決めた。大舞台で表現し切れなかった漕(こ)ぎの感覚を追求したいという。


 県出身のボート選手としては初めて二大会連続の五輪代表になった。目標にしていたのは八位入賞。十四位に終わったシドニー五輪の悔しさから、それまで以上のハードな練習を積んできた。世界に通用するだけの力をつけたはずだったが、結果は予選敗退、敗者復活戦でも準決勝に進める三位以内に入れなかった。

 もともと負けず嫌いな性格は人一倍。アテネで自分のレースが終わると、ほかのメンバーと離れ、決勝に進んだ強豪チームの漕ぎをコースわきで食い入るように見つめた。「自分には何が足りないのか」。それを感じ取るためだった。

 追い求めたいのは「艇と体が一体になる漕ぎ」。アテネで上位クルーはこの動きを上手く表現していた。「日本のボートはずっと『強く漕げ、足をけれ』という教え方。そうではなく、水とけんかをせずに艇を動かす感覚をもっと突き詰めたい」。陸上トレーニングを増やし、全身の筋力アップを図る必要性も感じたという。

 「自分はまだ限界ではない。世界で戦うレベルになるまでその舞台に立つ資格はないかもしれないけれど、一年一年を大切に、もう一度世界を目指したい」。目標を一つ一つクリアしていけば、その先には四年後の北京五輪がある。まずは来年、日本で開催される世界選手権に標準を合わせるつもりだ。

(長野日報:2004年9月15日掲載)

地元の応援に感謝
アテネ五輪出場・岩本選手が市長へ報告

 アテネ五輪のボート女子軽量級ダブルスカルに出場した諏訪市渋崎出身の岩本亜希子選手(25)=アイリスオーヤマ=が七日、諏訪市役所に山田勝文市長を訪ね、五輪の出場報告をした。


 今回の五輪では十三位に終わったものの、前回のシドニー大会より順位を一つ上げた。最後の順位決定戦はトップでゴール。岩本選手は「(成績は)まだまだですが、一位で終わることができて良かった」と振り返り、地元の応援に感謝した。

 山田市長が四年後の北京五輪への抱負を聞くと、「入賞ラインに届くところにはいると思う。まずは一年一年の競技を大切に積み重ね、その先に北京があればいいなと思います」と話した。

 山田市長は「多くの子供たちが後に続くように、五輪の感動を伝えてほしい。市民も応援しているので、これからも頑張って」と励ました。

【写真】山田市長に五輪の報告をする岩本亜希子選手

(長野日報:2004年9月8日掲載)

もし市長が、本当に「子供達にボートの魅力を伝え、この競技に対する理解を深め、岩本選手に続く次のホープを育てていきたい」とお考えでしたら、是非とも諏訪湖のボート環境を充実させることをご検討いただきたいものですネ。なにとぞヨロシクオネガイイタシマス・・・。[by 管理人]

地元の応援に感謝
アテネ五輪出場・岩本選手が市長へ報告
 諏訪市出身で、アテネ五輪ボート女子軽量級ダブルスカル代表の岩本亜希子さん(25)が七日、同市役所を訪れ、山田勝文市長に出場報告した。岩本さんは「一年一年(競技生活を)重ね、その先に北京があれば狙いたい」と話し、次回二〇〇八年の北京五輪出場に強い意欲を示した。

 岩本さんはジャージー姿で、県ボート協会役員や父親と訪問。山田市長がねぎらいの言葉を掛けると、「入賞ラインは見えてきた。メダル争いをしている自分はまだ想像できないが練習すれば変わる。一歩ずつ(世界との)差を縮めたい」と力強く話した。

 岩本さんは前回のシドニーに続く二大会連続でアテネ五輪に出場。十三―十八位決定戦で一位になり、シドニーより一つ順位を上げた。当面は、来年八月に岐阜県で開く世界選手権に照準を合わせ練習に励むという。

 六、七日には市内の母校、城南小学校と諏訪中学校を訪問し、児童、生徒と交流した。


(信濃毎日新聞:2004年9月8日掲載)

児童と交流 体験経験を語る
岩本選手が母校の城南小で

 アテネ五輪で、ボートの女子軽量級ダブルスカルに二大会連続出場を果たした諏訪市渋崎出身の岩本亜希子選手=アイリスオーヤマ=が六日、母校の同市城南小学校を訪れ講演、児童と交流した。小学校時代のエピソードに触れ、選手生活から夢と希望を持つ大切さを強調。児童は体験を通した話に身を乗り出して聞き入った。


 岩本選手は一九九〇年三月同校を卒業し、在学中は合唱団と水泳部に所属。「姉の影響もあって高校時代からボートを始め、九二年のバルセロナ五輪で、同じ年の岩崎恭子さんが金メダルを獲得したことに刺激された」と取り組みのきっかけを紹介、以来さまざまな大会に出場し、アテネに出場する経過に触れた。「今回は悔しい結果となったが、これからは世界で一けたを目指したい」とにこやかな表情ながらも、しっかり決意を語った。

 児童からのたくさんの質問に岩本さんは、「多くの人に応援され、期待されていることをうれしく思った」「前回は極度に緊張したが、今回は周りが見えた」「一番のライバルは自分」「やめたいと思ったことは、きつい練習や負けたときに頭をよぎったこともあったが、本気で思ったことはない」などと答えた。

 また、「目標を一つひとつクリアしていったらオリンピック出場の夢につながった。私は特別ではない。だれもがオリンピック選手になれる可能性を持っていると思う」と話しかけた。

 児童は、「しなやかな手なのに触ったら硬い」「細い体で、腕の力がすごい」と手と手を合わせたり、腕相撲で実感。高学年生は「誇りに思う先輩がいてうれしい。努力すれば、道が開けそうな気がしてきた」と話した。

(長野日報:2004年9月7日掲載)
まだ伸びると感じた
下諏訪細長に帰国報告
 岩本亜希子選手(二五)=アイリスオーヤマ=は六日、下諏訪町役場に県ボート協会長の高橋文利町長を訪ね、帰国報告をした。念願の準決勝進出は果たせず十三位に終わったものの、「まだ伸びる要素はあると感じた大会だった」と感想を話した。

 県協会の青木成雄理事長や父親の賢一さん(五七)らとともに訪問。目標に届かなかったことについて「直前のイタリア合宿で手ごたえをつかんだつもりだったが、世界も同じだけ伸びていた」と世界の壁の厚さを振り返る一方で、最後の順位決定戦でトップになり、前回のシドニー十四位から一つ順位を上げ、「自己ベストの記録が出たのは良かった」とすがすがしい表情も見せた。

 帰国早々、周囲からは「次の北京五輪を目指して頑張れ」という励ましを受けたそうで、「まだ(自分の)限界は越えていない。世界でどれだけ戦えるかを目標にしたい」。来年は岐阜県で開く世界選手権もあり、世界への挑戦を続ける考えを示した。

【写真】五輪の成績を報告する岩本選手

(長野日報:2004年9月7日掲載)

諏訪湖育ちのボート選手と交流、オリンピックのウラ話も?

 アテネ五輪で、ボートの女子軽量級ダブルスカルに二大会連続出場を果たした諏訪市渋崎出身の岩本亜希子選手=アイリスオーヤマ=が五日、下諏訪町で開催された諏訪湖育ちのボート選手交流会に出席、各地の大学ボート部や地元で活動する選手らと交流した。

 交流会は長野県ボート協会の強化部が、インカレ(全日本大学選手権)を終えて地元に帰省した大学生の集う場として企画。選手たちが高校時代に活動の拠点であった下諏訪町錬成の家でバーベキューを行った。参加したのは、ボートのメッカ・戸田で活動する中央大、明治大、東京経済大、東京外語大をはじめ、東北大、仙台大、富山国際大など全国各地から幅広い顔ぶれ。地元社会人で全日本のトップクラスで活躍する牛山選手らも大勢の若手に交じってボート談義に花を咲かせた。この会に花を添えたのが、アテネ五輪から帰国したばかりの岩本選手。帰国後も多忙なスケジュールに追われる中、「諏訪湖の仲間」と語るひとときを満喫した。  いまだ記憶に新しい五輪本番やそれまでの合宿などの話題。トップクラスの選手が感じる艇の進め方や、トレーニングなど若手大学生だけでなく地元の社会人にも大きな刺激となるイベントとなった

(長野県ボWEBオリジナル記事:2004年9月7日)


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