【諏訪中漕陵会】
46年ぶり再結成の絆
諏訪湖を拠点とする「諏訪中漕陵会」は、旧制諏訪中学(諏訪清陵高校)OBで作る75歳から77歳のボート仲間です。定年を迎えた同窓会でだれかが言った「また漕ごう!」のひと声で46年ぶりに再結成。4年前には憧れのイギリス・テムズ川でオールを握りました。「今度はどこへ行く?」。青春まっただ中の8人は、世界中の川へ漕ぎ出す勢いなのです。
信州のボー卜界の礎を築いた頼もしいパイオニアたち
初秋の太陽がキラキラと反射する湖面を、ブルーのオールがリズムよく水を切って進んで行きます。小気味よいかけ声は「キャッチ、ソー」と繰りかえします。今年で8年連続出場の大会「下諏訪レガッタ」。学生から実年まで幅広い世代が出場する中、世間では後期高齢者″と呼ばれる世代のメンバーが乗ったボートは、他のボートにまったくひけを取らないスムーズな滑りを披露しています。「ボートのいいところは、名選手がいないところ。『1艇ありて1人なし』という言葉があるくらい。それだけチーム全員の力が必要ということですよ」と関光雄さん(75)が言うと、全員が誇らしげな笑顔でうなずきました。
メンバー8人の出会いは、1946(昭和21)年の旧制諏訪中学時代にさかのぼります。学制改革により、諏訪清陵高校を卒業するまで6年間をともにした仲間たち。大堀京一さん(76)は「特別リーダーがいたわけではないが」と、謳歌した諏訪中時代を振り返りました。
県内唯一の端艇部だったとはいえ、当時の練習は諏訪湖にボートを浮かべて漕ぐばかり。向上心の旺盛なクルーたちは「やるなら対外試合もしてみたい」と、OBに直談判してコーチの就任を要請しました。そしてベルリン五輪に出場した早稲田大出身の遠藤与一さんを迎えての特訓が始まったのです。
自己流の練習を続けてきた学生たちにとって、五輪選手から受ける指導はまさに目からウロコ″の連続。ところがボートの座席は、現在のように前後にスライドしない固定式のため、座面との摩擦でお尻の皮はむけ、オールを握る手も豆がつぶれるような過酷な日々でした。その甲斐あってか「急にうまくなった」と酒井和悦さん(77)。高校2年の時には1901年の創部以来、初めて全国大会に出場、ボート競技としては県内初の国体出場も果たし、長野県ボート界のパイオニアとして漕ぎ出したのです。
「そうだ!またボートを漕ごう」
ひと言で始まった第2のボート人生
それから46年。それぞれが定年退職を迎えて一線を退いたころでした。年2回開いている同窓会の席で、だれからともなく「またボートを漕いでみよう!」と声があがったのです。2、3期後輩が「全国マスターズレガッタ」に出場したことにも刺激を受けました。
再結成してからは月2回の練習のため、東京や神奈川、千葉から通うメンバーもいました。高校時代は早朝5時から漕ぎ出し、放課後も授業が終わると一目散に漕艇場へと駆け出して「学校にいるより艇上か艇庫にいる方が長かった」と言います。諏訪湖に来れば、青春時代と同じ仲間がいて、当時と同じ思いに戻れるから、遠路を通うことにも苦痛はなかったのでしょう。「みんなボートが恋しかったんだろうね」と茅ヶ崎市から通う酒井
さんも照れ笑いしました。
結成の翌年、1998年には「第9回全国マスターズ」に出酒し、3位でデビュー戦を飾ります。以来、マスターズは11年連続、「下諏訪レガッタ」には8年連続で出場しています。
ボートマンのあこがれ英国テムズ川へ
米国ボストンのチャールズ川へと
古希を過ぎ、なお仲間の絆が深まるにつれ、今度はボートマンにとって憧れの地、英国ロンドンのテムズ川へと夢は広がりました。2004年には、世界最古の歴史を誇る「ヘンリー・ロイヤル・レガッタ」の観戦を兼ねてテムズ川でのボート漕ぎを実現。「せっかくだからボートの花形・エイトをやろう」と、レースが行われた翌日、初めてのエイトに挑戦しました。諏訪湖で充分に練習を積んだボートはクルーの思いが1つになって、テムズ川での至福の時となりました。そのとき川辺で歌った校歌と応援歌は、生涯忘れ難い思い出として胸に刻まれています。
さらに翌年には、米国ボストンの秋の風物詩「ヘッド・オブ・ザ・チャールズ・レガッタ」を観戦。チャールズ川での乗艇も果たしました。一昨年は世界選手権が開催された長良川に遠征するなど、活動範囲は広がるばかり。今年は「第1回全日本マスターズ」(75〜79歳の部)での優勝も果たしました。来年の第2回はホームコースの諏訪湖での開催が決定。連覇を狙っています。
遠征をするたびに、また大会を終えるたび、シーズンを終えるたびに、仲間と交わす酒のおいしいこと!最近は家族ぐるみの交流も定着し、イギリスにもアメリカにも夫人を伴って楽しんでいます。
人生の教訓はすべてボートで培った
クルーのためにも健康管理は大切
1艇ありて…。の言葉が表わすように、ボートはチームワークがすべて。「精神的な耐久力はすべてボートで培ってきました。これまで仕事でも人生でも、つらいことがあっても乗り越えて来られたのは、ボートのおかげ」と宮坂祐次さん(75)。大堀さんは毎日のプール通い、酒井さんは毎朝1時間のウォーキングと畑仕事と、今でも1人1人が自分のために、そしてクルーのために体調管理に気を付け、出漕する大会を1つの目標として体力の維持・向上を図っています。
「ボートは全身運動。生涯スポーツになると思っています」とは関さん。陸上を歩く姿は年齢とともに緩やかになっているクルーですが、ひとたびボートに乗れば、身も心も高校時代に戻ったよう。そんな大先輩の姿を見て、10年以上若い後輩たちが「漕陵62」「漕陵63」を結成して活動を始めるなど、伝統が息づいています。来年開かれる諏訪湖での「全日本マスターズレガッタ」には、先輩と後輩の連合チームで「エイト」に出漕予定。夢は無限に広がっています。
「遊漕」から「幽漕」ヘ
イージーオールまで漕ぎ続けたい
ボートと出会ったばかりのころは「遊漕」、全国大会に出場し始めた高校時代から現在のマスターズに挑戦している姿は「競漕」、国内外の川で漕ぐのは「礼漕」と、ボートとともに歩む人生を詩的な言葉で表現する漕陵会のみなさん。「いつまでも元気で『幽漕』まで漕ぎ続けたい」というのが全員一致の目標です。
写真1:夢に向かって漕ぎ続けているクルー。左から大堀京一さん、酒井和悦さん、関光雄さん、宮坂裕次さん。現役時代は都庁や銀行の支店長、社長として活躍した面々
写真2:ボートは元気の素。漕ぎだすと身も心も青春時代に戻る艇上のクルー。他艇
のクルー達と交わす笑顔も爽やか
写真3:あこがれの米国ボストン・チャールズ川で感激に浸りながらオールを漕ぐ「エイト」の息はぴったり
写真4:国内外への遠征は家族を伴って行くのも楽しみのひとつとなった。昨年の琵琶湖周航の応援ツアーで
写真5:通い慣れた艇庫を背景に湖面にボートを浮かべスタートの準備をするクルーたち
写真6:諏訪中漕陵会(51回生)のメンバーに刺激を受けて結成した後輩クルー「漕陵会62(62回生)」と「漕陵会63(63回生)」と。ボートへの情熱が後輩へと受け継がれている
写真7:「次の目標はどこにしようか」。充実した表情でボートを降りるクルーたち
<掲載誌:「信州りらく」2008 autumn号>
|